大阪高等裁判所 昭和42年(行コ)28号 判決 1968年12月09日
大阪市旭区上辻町三四番地
原告(被控訴人)
隅田利郎
右訴訟代理人弁護士
河村武信
右訴訟復代理人弁護士
井上祥子
同市同区大宮町五丁目三五番地の一
被告(控訴人)
旭税務署長
荒井広
右指定代理人
氏原瑞穂
同
吉田周一
同
下山宣夫
同
繁田俊雄
右当事者間の裁決取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原判決中被告敗訴部分を取消す。
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。
事実
一、原判決主文と当事者の申立
(原判決主文)
被告が昭和三九年八月七日付でした原告の昭和三八年度の所得税について、総所得金額を一〇一万四、六五九円とする更正決定のうち六一万八、七八九円を超える部分はこれを取消す。
原告の請求のうちその余の部分を棄却する。
訴訟費用は全部被告の負担とする。
(被告が当審で求める裁判)
主文と同旨。
(原告が当審で求める裁判)
被告の控訴を棄却する。
控訴費用は被告の負担とする。
二、当事者双方の事実上の主張および証拠関係
次に記載するほか、原判決事実摘示のとおりである。
(被告の主張)
原告が日東産業株式会社から依頼された婦人物セーター等の編上加工を同業者である川東英夫に外註した事実はない。それは、次の事実からも十分に窺われる。
1、原告は、被告の原処分調査に際し、吉本孝次および右日東産業に対する売上を秘匿していたのであるが、その理由は、吉本の分は脱税のためであり、日東産業の分は口銭がなかつたためであるという。しかし、日東産業との取引も原告自体の取引であるから、これをさらに外註したかどうかにかかわらず、当然原告の売上に計上すべきものであつて、これを売上から除外する理由はなく、まして、これを口銭なしで川東に下請加工させていたとすれば、なおさら被告に秘匿すべき理由は認められないものである。
2 原告は、原処分調査時の被告の質問に対し、売上および経費の脱漏はないと答え、更正処分に対する異議申立に際しても、その理由として売上を架空に推計し更正決定したと主張していたのであつて、川東に口銭なしで下請加工させたということは本訴において初めて主張するに至つたものである。
3 原告は、川東に口銭なしで下請加工させたのは、日東産業とは初めての取引で、採算性の予測がつかなかつたから、一応川東にやらせ、よければ自分でやりたいと思つていたというが、メリヤスの編立加工を業とする者であれば、現実に加工をしてみるまでもなく採算性は当然予測しうる筈であるから、原告が口銭なしで川東に下請加工させる事情が存在しなかつたものといわねばならない。
(原告の主張)
原告が日東産業の分を売上(収入)に計上しなかつた理由は、次の如きものである。
1 本件取引は、会計原則上売上ならびに外註費の各項目に計上すべきであろうが、本件訴訟遂行過程に徴しても明らかなように、原処分時において下請加工につき口銭をとらない「はだし」の取引実態の認定を被告に期待することはほとんど不可能である。従つて、口座主義的徴税態度を旨とする被告に対する自衛措置として「はだし」の取引は記帳より除外するというのも原告にとつて理由なしとしないのである。さらに、被告が常時行う推計課税に際しては売上高を重要な指標にしているので、もし本件を記帳すれば増加した売上高を基礎に、他方同額の外註費は決して認めないまま、一定割合の利益を見込んで課税するに至るのである。
2 原告が、川東に対する「はだし」の外註関係の存在を主張したのは、本訴訟において初めてしたのではなく、審査請求書の理由中に明らかに窺知できる(乙三号証と乙五号証の各理由記載欄の対比により)し、大阪国税局協議団兼岡秀行協議官にも右事情を申出ているのである。
3 メリヤス編立加工の採算性の予測は、長期の経験と技倆の持主でも確実に樹てられないのが実情である。加工賃料はむしろ編立ててみて後に、その工程・作業の進捗性・難易性を考慮して初めてこれを決定するのが通例であり、作業着手前に採算性を判断して加工賃料単価を算出するのは不可能である。従つて、原告が川東に対して採つた措置は何ら奇異なものではないのである。
(新証拠)
被告 乙七ないし一六号証を提出。証人藤江利男の証言を援用。
原告 右乙号各証の成立をすべて認。
理由
一、原告は、大阪市旭区上辻町三四番地において毛メリヤス編上の下請加工業を営んでいるが、昭和三八年度の所得税について、その主張のとおり、被告に対し総所得金額を四五万八、〇〇〇円として確定申告(白色申告)をしたところ、これを一〇一万四、六五九円とする更正決定がなされたこと、それで、原告は被告に対し右更正決定について異議の申立をしたが、これを棄却されたので、さらに大阪国税局長に対し右処分について審査の請求をしたが、これも棄却されたことは、当事者間に争いがない。
二、そこで、原告の昭和三八年度の所得額について検討する。
(一)、被告主張のうち、収入金額五一五万一、九三七円中日東産業株式会社を除く各取引先から被告主張のとおりの収入計四六四万一、九〇七円のあつた事実、必要経費の額三九三万四、一一八円(うち外註費二二七万九、三〇八円)、譲渡損失額八万九、〇〇〇円は当事者間に争いがない。
そして、原本の存在ならびに成立に争いのない乙一号証、成立に争いのない乙一〇ないし一三号証と証人藤江利男の証言、原告本人尋問の結果によると、原告は昭和三七年一二月から翌三八年六月までの間日東産業株式会社から代金は毎月二五日締切り翌月五日支払の約で婦人物セーターの編上加工の依頼を受け、同三八年二月から七月までの間毎月五日頃同会社から右加工代金として六回に合計五一万〇、〇三〇円の支払を受けたことが認められるから、右五一万〇、〇三〇円は原告の三八年度の収入金額として加算すべきことが明らかである。
(二)、そこで、右収入に対応する必要経費が右争いのない被告の主張額以外に存したかどうかを検討するに、原告は、右日東産業から依頼された右仕事はすべて川東英夫に手数料等の利益を全く得ない、いわゆる「はだし」で下請させ、右五一万〇、〇三〇円を全額右川東に支払つたから、これが原告の収入として加算されるのであれば、反面、これを必要経費(外註費)として原告の収入から控除すべきであると主張し、被告は右下請の事実を否定する。
原告本人は原告の右主張のように供述し、証人川東英夫・同小林尚弘もこれに副う証言をするけれども、後記証拠および認定の事実に照してたやすく信用できない。
1 成立に争いのない乙二ないし九号証と証人兼岡秀行の証言ならびに弁論の全趣旨によると、原告は、本件確定申告に対する被告の調査に際し、売上四三八万〇、八五二円、雇人費一一一万六、六六〇円、外註費二二七万五、二五八円と記載した計算書を提出したこと、更正決定に対する異議申立書において、その理由として、「売上を架空に推計して更正決定されている。上半期と下半期の収入が平均していないとして、少い上半期に見込み収入を推計した。」旨記載し、添付の収支計算書には売上四五〇万円、経費四〇二万一、六一八円(三九三万四、一一八円の違算と認められる)のうち雇人費一〇七万六、二八〇円、外註費二二七万九、三〇八円と記載されていたこと、右異議の申立を棄却する旨の被告の決定決議書には、その理由として「再調査したところ、日東産業株式会社他数件についての売上が記帳漏れとなつている。」旨記載されていたのに、これに対する原告の審査請求書には、その理由として「更正決定の内容の説明が不明瞭であつたため架空推計と思われたが、そうでないのなら、一〇〇万円を超える所得決定は不当に高く、外註費・人件費を実際に支払つているのに認めず、一方的に削つているのは納得できない。」と記載しているだけであつて、原告主張のように日東産業の分は川東に「はだし」で外註した旨の主張を含んでいるとは到底解されないこと、昭和四〇年三月頃調査に当つた大阪国税局協議団の係官兼岡秀行に対しても、原告は、右川東に「はだし」で下請させたというようなことを申出ていなかつたことが認められ、以上認定に反する原告本人尋問の結果は信用できない。
2 原告本人の供述によると、原告が日東産業の前記仕事を川東英夫に「はだし」で下請させた事情は、原告は当時一応忙しい程の仕事をもつていたが、その頃たまたま友人である同業の川東から仕事がないかと頼まれていたので、日東産業の仕事をするのは初めてで採算が合うかどうか不明でもあつたところから、川東にやらしてみて採算が合うようなら後々自分がしてもよいという考えもあつて、川東に「はだし」で下請させたのであるといい、その仕事の段取りについては、川東が車をもつていなかつたからという理由で、日東産業との間の原糸の受取り、製品の納付とも一切原告がし、また、代金も原告が小切手で受領し、自ら現金化したうえ川東に渡していたというのである。しかし、前掲乙一号証と証人藤江利男・同川東英夫の各証言によると、原告と川東は同じ旭区に居住し、相当古い交際があるといいながら、かつて仕事の廻し合い等取引が一度もなかつたこと、日東産業の事務所は天王寺区小橋西之町に、工場は東成区西今里町四丁目にあつて、原告の住所と可成りの距離にあるが、取引期間中原告が日東産業との間を往復した回数は、原糸の受取り、あるいは製品の納付のためが約四〇回(もつとも、日東産業から原告方へ製品を引取りに出向いたこともある)、代金受領のためのみが四回あり、その一ケ月平均七回にも及んでいることが認められるところ、右各証言によると、一般に自己が引受けた仕事を他に「はだし」で下請させるのは、約定の履行期に間に合わないため他を利用する場合(このときは、「はだし」どころか出血することもある)や既に仕事を廻し合つて協力援助関係ができ上つている場合等であるのが通例であると認められることに照し合せると、前示原告の供述は合理性を欠きたやすく首肯できない。
3 証人川東英夫は、原告に対し原糸の受領書は出さなかつたが、製品の納品伝票は渡し、加工代金についても請求書を出し、領収書も切つたり切らなかつたりした旨証言する。これに対し、原告本人は、代金領収書は「川東が出したと言つているから貰つたのでしよう。しかし、うちにはありません。年末に整理し、いらんものは放つてしまう。」とか「おそらく領収書は貰わなかつたと思う。われわれ仲間では、それ位の金額では、一〇万二〇万にかかわらず、領収書を切らない。」とも供述し、その供述があいまいであると認められ、さらには「四、五日前に三八年度の書類が入つている袋が出て来たから、そのうち一度調べてみる。」とも供述したが、元来、原告主張のような特殊な「はだし」の下請をさせた場合は、とり分け納税対策上も関係書類を保存しておくのが通常であると考えられるのに、川東の右代金領収書はもちろん納品伝票・代金請求書あるいはそれらの控え等の書類が全然証拠として提出されていない。
4 原告本人の供述によると、原告は当初確定申告の際、収入として右日東産業の分だけではなく、被告主張の吉本孝次からの収入一一万一、〇五五円をも計上していなかつたことが明らかである。
他に原告の右主張事実を認めるに足る証拠はなく、却つて、以上の認定事実によると、原告は日東産業から引受けた本件編上加工を川東英夫に対し下請させていなかつたと認めるのが相当である。
従つて、原告の三八年度の必要経費は、前記争いのない被告主張の額であり、かつ、前示原告が更正決定に対する異議申立書に添付した収支計算書に記載した額でもある三九三万四、一一八円(うち外註費二二七万九、三〇八円)のほかには存しなかつたことが推認でき、他にこれに反する証拠はない。
(三) 以上によると、原告の昭和三八年度の総所得は、前記争いのない収入四六四万一、九〇七円に前示日東産業からの収入五一万〇、〇三〇円を加えた総収入五一五万一、九三七円から前示総必要経費三九三万四、一一八円と前記争いのない譲渡損失八万九、〇〇〇円を控除した一一二万八、八一九円であるといわねばならない。
三、結論
してみると、被告が原告に対し、昭和三八年度の所得税につき、その総所得額を前認定額の範囲内である一〇一万四、六五九円とした本件更正決定は正当であるから、これを違法としてその一部取消を求める本訴請求は全く理由がない。よつて、原判決中これを一部認容した部分を取消し、右請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 乾久治 裁判官 前田覚郎 裁判官 新居康志)